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カヌーを楽しむ:その8 [カヌー]

川の水は透明できれいなほうがいい。
でもそんな川は少ない.


ニュースで日本のどこかの川はきれいとか流れるが、
僕はこの那珂川が好きだ。
生まれは東京の深川で物心が付いた頃に隅田川を知った。
昭和30年代のこの隅田川はどぶみたいな色でぷーんといつも異臭を放っていた。
川のあちこちではメタンガスが発生していた。
橋の上に立っているのがいやだったが、隅田川の花火大会の時には
我慢して大人たちの見ていた。
といってもあまり記憶がない。
記憶があるのはその大人たちが子供の僕をからかっていた冗談だけだ。
「お前を永代橋で拾ってきたんだよ」
子供ながら寂しいつらい思いをして泣いたような気もするが、
記憶が定かではない。

当時の隅田川唱歌にあるような春のうららの何で場違いの感じだった。
今は以前と比べるとどぶ川の腐った匂いみたいなことはなくなった。
隅田川にかかる永代橋はしはいつもきれいに塗装され
夜はライトアップされてるので僕の記憶の中にある橋ではなくなった。
橋の横に新川は兜町、日本橋へと続く川だ。
ここも同じようなくさい汚い川だった。

高度成長期になると都内の川がますます異物が浮く汚い川になっていた。
当時、都内でも水洗トイレの普及は遅れていた。
いわば水洗トイレは垂れ流しで神田川やいろいろな川に汚物が流されていた。
川の汚れに変化が起きるのは東京オリンピックに向けて
東京の町全体が大改造され出してから変わり出した。

それでも汲み取りの汚物は船で太平洋の黒潮まで運ばれ流されていた。
これは最近までそうだったようだ。
テレビのドキュメントで流れていたのを見たことがある。

引越しの好きな親に連れられ代々木に小学2年から5年まで住んでいた。
小学校は深川に住んでいた時に通っていた中央区の昭和小学校まで、
首から定期をさげてこの総武線を利用して越境入学をしてた。
当時の総武線の車両は木製の車両が多かった。
車両も内装も茶色ずくめでシートだけが緑色をしていたような記憶がある。
その電車に乗り車窓から外を眺めているのが好きな少年だった。

電車は四ツ谷の駅を過ぎると外堀の堀が車窓から見える。
次の駅が市ヶ谷、この駅には当時から釣堀があった。
堀は続き次の駅が飯田橋。
ここは江戸時代に玉川上水路からの水の取り入れ口が
あったということを何かの本で呼んだことがある。
この玉川上水路が今の神田川だそうだ。

通っていた小学校は八重洲にあった。
ここは日本橋、京橋、宝町、銀座と続く江戸時代の商業地。
高度成長の建築ラッシュでそこらじゅうの地面が掘り返され
江戸時代のいろいろなものが見つかっていた。
その中に玉川上水の水を各町内に運んだ木管の筒が出てきた。
小学校にもこの木管は寄贈されていた。

飯田橋から汚い川を見下ろしながら総武線は走る。
御茶ノ水のJRの駅からも神田川を見下ろすことができる。
いまは大きな鯉が泳いでいるが当時は魚が泳いでるのを
見た記憶がない、ただたくさんのごみは浮いていた。
その頃の人たちは川をゴミ捨て場のように考えている人が
多い時代だった。
今でも平気で川にごみを投棄している人が多いが。

当時は今ほどゴミ収集車が多くない頃でごみの収集と運搬に
神田川が使われていた。
水道橋にごみの集積場があり、そこからぽんぽん蒸気船で、
夢の島までごみが運ばれていた。

清流を僕は知らなかった。


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すだりん。

おひさしびりです。先日は書き込みありがとうございました。僕の仕事は毎日が出張なのでいろんな物に触れたり聞いたりする機会が多く幸せに思ってます。特に最近は、お花が綺麗で嬉しいです。さて昨日4/14の夕方、松浦裕子りんがNCGに来たので本日4/15は僕もいって久々にキャンプでもしようかなと思っています。Mac OS X用のTech Tool Pro 4.0.4を置いときますので来場の際はお持ち帰り使用して下さい。
by すだりん。 (2006-04-15 06:11) 

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